2018年秋、『Hacking Growth グロースハック完全読本』(日経BP社)が刊行されました。グロースハックとは、製品やサービスに成長を促す仕組みを埋め込む手法。例えばファイル共有サービス、Dropboxに初期の躍進をもたらしたのは、ユーザがこのサービスを知人に紹介すると双方に追加容量をもらえる、という単純ながら効果抜群な仕組みでした。TwitterやFacebookなどの巨大SNSも、Airbnbなど人気のWebサービスも、グロースハックで成長し、その専門チームを持つ企業も多いといいます。
『グロースハック完全読本』は、アメリカで幾多のグロースハックを成功させた著者らによる秘伝書の和訳版。グロースハックを日本でいち早く実践し、同書に熱い解説も寄せたのが、ZOZOテクノロジーズのCINO、金山裕樹さんです。「グロースハックは今後、より広い領域で活かされていく」と語る彼に、『完全読本』の内容紹介と共にその極意を聞きました。
金山裕樹(かなやま ゆうき)株式会社ZOZOテクノロジーズ代表取締役CINO(Chief Innovation Officer)。ヤフー株式会社にてX BRANDなどのライフスタイルメディア創設に携わった後、2008年に株式会社VASILYを設立、CEOに就任。同社の「IQON」はファッションコーディネートアプリとして世界で唯一、AppleとGoogle両社のベストアプリに選出され、会員数は200万人を超える。2017年、スタートトゥデイによるVASILY社の完全子会社化とともに、現職に。共著に『いちばんやさしいグロースハックの教本』(インプレス)がある。
成長(グロース)をハックせよ。製品自体にマーケティングを埋め込む
――最初に、グロースハックとは何かについて、金山さん流の定義をぜひ教えてください。
金山 グロースハックは、広義には、ユーザ獲得や継続利用につながるマーケティングの一種だと考えます。 ただし、広告宣伝やインフルエンサーの活用といった従来手法と違い、製品自体の中に成長(グロース)のための仕組みを埋め込んでしまうのが特徴。そのため、プロダクト部門やエンジニアリング部門の力も活用します。
『グロースハック完全読本』では、著者のひとりで伝説的なグロースハッカー、ショーン・エリスが自ら関わったDropboxの事例も紹介されます。ユーザに対して「お友達にもこのサービスを紹介してくれたら、お二人両方に追加容量を差し上げます」という仕組みを追加したことが、このサービスの躍進を呼び込みました。
――宿泊施設の仲介Webサービス、Airbnbの初期の成長を助けた奇策の話も印象的でした。
金山 Airbnbに貸部屋情報を投稿すると、有名な個人広告サイト「クレイグズリスト」にも無料で自動投稿される仕組みを埋め込んだ結果、宿泊者数が急増。ただし業務提携などではなく、独自にクレイグズリストのシステムを分析して実現したというのが“ハック”っぽいですね。
これが語り継がれている理由は、2つあると思います。ひとつはやはり、実際に施策として強烈に効いたから。ふたつ目は、普通は思いつかないその手法。まだ実績も資金も少なかった彼らが、アイデアと技術力でこの仕組みを編み出したことです。そうした冒険者精神も、多くの人を驚かせたのだと思います。
――Airbnbで、もうひとつ面白かった施策があります。宿泊率の悪い地域は総じて部屋の投稿写真がイケていないと気づいたスタッフが、高性能カメラを持って貸主の部屋を訪ねて回り、魅力的な写真を撮ってあげた。それが宿泊者の倍増につながったことから、今では写真家の紹介サービスも確立されています。ローテクな発想も織り交ぜられるのだなと。
金山 確かに。着眼点と行動力が成功をもたらした好例ですよね。
――金山さんたちがVASILY社で生んだファッションコーディネートアプリ「IQON」ではどうでしょう。例えば、ユーザが自分のお勧めコーディネートを投稿できるという基本機能を活かして、これを人気ブランドのアイテムで募るコラボ企画がヒットしたそうですね。
金山 当初はIQONよりもそうした人気ブランドの方が圧倒的に多数のファンを持っていたので、IQONと協働するメリットを感じて頂きにくかった。そこで、彼らのお客さまも楽しめる企画を提案できた結果、ブランド側はファンや売り上げの増加につながり、IQONも新たなユーザを迎え入れられました。Win-Winだったからこそ長寿企画になっています。
例えるなら、棒アイスの当たりくじもグロースハック
――グロースハックの考え方は、どのように生まれたのでしょう?
金山 シリコンバレーなどで、ソフトウェア開発の現場から生まれた考え方です。でも、例えば昔からある棒アイスの当たりくじなどもグロースハック的かもしれません。 あれも「当たったぜ!」「俺はもう食べたからあげるよ」といった口コミを誘発する機能を、商品の中に設けているわけですよね。
――昔からこれに近いアイデアはあったということですか?
金山 はい。ただしグロースハックでは、そのための仮説づくりや結果の分析に、さまざまなデータを利用します。当たり棒の例なら、売り上げや認知度がどう伸びたかなどですね。さらにそれをもとに次のステップに進む、というサイクルを重視するのも特徴です。何かひとつすごい施策をやって終わり、ではないのです。
その背景には、ソフトウェアの発達で、数字をもとに意思決定できる環境があります。現在のWebやアプリの世界では、ユーザがどのページをどのくらい見たか、 どこでそのWebサイトから離脱したかなどもデータで可視化できるようになりました。ユーザの行動やそこで起きている現象を、定量的に捉えやすい。だから、これらをもとにした改善策なども立てやすいんです。
――『完全読本』は、これまで顧客の「獲得」に集中しがちだったマーケティング部門が、顧客活動の活性化や維持を担うプロダクト部門やエンジニアリング部門と連携し、収益化を目指すプロセスが大切だとします。金山さんも「グロースハックは総合格闘技」と仰っていますね。
金山 はい。さらにグロースハックは今後、生活とより深く広く関わっていくと思います。いま、我々がスマートフォンやPCを使わない日はないし、IoT(モノのインターネット)の発達でネットと接続する機器が増えれば、現実の事象をデータとしてネットに落とし込める機会はより広がる。例えばヘアドライヤーの中にそれを愛用してもらう仕組みを埋め込むとか、店舗にお客さんを引き込むこれまでにないデザインなど、多様な事例が考えられそうです。
「グロースハックことはじめ」は、カギとなる事象の数値化から
――自分なりにグロースハックに挑みたい、という読者は何から始めるべきでしょう?
金山 まず、全てのものを定量化して捉えてみること。例えば営業や顧客サービスの担当者でも、みなさん日々の業務で何かしらソフトウェアを使っていると思います。それを活用して数字で捉えられるようにし、成長達成のためにとるべきアクションを数字に紐付けて考え出す。そして結果もデータで検証する、というサイクルです。
――金山さん語録には「君が神でも、データを持ってきてくれ」というのがありますね。
金山 はい(笑)。いまは各種のデータを取得・分析する高度なツールもあるし、『完全読本』はそうした細かい指標の読み解き方も解説しています。そこまでしない場合も、まず定量化を起点にする考え方は、誰もが実行できると思います。
――金山さんは『完全読本』の巻末に解説も寄せています。著者のショーン・エリスへの謝意も込められた熱い文章でした。ご自身がグロースハックに注目したきっかけは?
金山 いま振り返るとですが、Yahoo! JapanでWebサービスのディレクターだったころから、グロースハック的なことをやってきました。それをより洗練された形で、体系立てて実践する人たちを知ったことで、これは新しいフレームワークとしていけるなと感じました。ならばこれを活用し、かつ広く紹介していくべきで、それは日本のソフトウェア産業にとってもよいことだと思えたんです。
よくあるグロースハックの勘違い。その製品は本当に「マストハブ」か?
――一方、この本でも厳しめに指摘されるのは、世の中に求められないものを必死にグロースハックしても意味がない、だから大前提としてその検証を重視すべきということでした。
金山 同書では、そうした有用性が使い手に刺さる瞬間を「アハ・モーメント」と表現し、そうしたプロダクトを「マストハブ」と呼びます。例えば僕がいまパッと思い付く例だと、カメラマンとそれが必要な人たちのマッチングアプリとかは、いかにもありがちで発明性は感じにくい。
でも、カメラマンが自分のスケジュールや撮影した写真を登録すると、コンピュータが自動解析して自分好みの、得意な仕事だけ仲介してくれるサービスならどうでしょう。カメラマンも、商品撮影が得意な人、人物撮影が得意な人などさまざまでしょうから、そんなサービスが生まれたらちょっとした発明になり得るかもしれません。
――そうした発想を出発点に、同書では、アハ・モーメントやマストハブの有無を「測る」ため、インタビュー調査や製品テストなども意欲的に取り入れることが推奨されていますね。
金山 じつは僕も今、これから実現を目指すファッション系新サービスのアハ・モーメント探りをやっています。誰も想像しなかった体験、またはクオリティ、表現、スピードなどをプロダクトに組み込むこと。加えて、マストハブの話につながりそうですが、PMF(Product Market Fit:顧客の課題を満足させる製品を供し、それが適切な市場に受け入れられている状態)も考えねばなりません。早くお披露目できる段階に辿り着きたいですね。
成長は全てを癒やす。学びがあれば失敗ではない。
――グロースハックの実践では「北極星」の設定も重要だと、この本は説きます。つまりチームが共有できる究極の目標のことですね。Airbnbでは、ユーザ数ではなく予約数を北極星にして成功した。また初期のFacebookでは、設立者のザッカーバーグ自らが月間アクティブユーザ数を最重要目標にしたことで、皆が果敢に分析と実験に取り組めたようです。
金山 確かに、やみくもに目先の目標を追いかけてもグロースハックにならない。しかも最終的なゴール設定が適切でないと、道をそれてしまいます。
――逆に言えばグロースハックのプロセスは、企業のビジョンを常に確認する機会にもなり得そうです。金山さんは最終的には「成長が全てを癒やす」とも仰っていますね。そこを目指す上での心構えがあれば、ぜひお願いします。
金山 「銀の弾丸はない(※1)」という言葉があるように、グロースハックの試みは、100回の試行が全て成功するようなものではありません。だから僕は期待した結果が得られないときも、次に進むための「学び」があれば失敗ではないと考えます。一方、うまくいったときは、それが数字で明確に分かるからこそ盛り上がれる良さも、グロースハックにはある。だから「成長が全てを癒やす」は、ひとつの真実だと思うんです。
この『完全読本』は、その試行錯誤を支える決定版的な一冊だとも思います。専門性が高い箇所は難しく感じる方もいると思いますが、その分粒度の高い情報が詰まっている。この日本版の刊行を機に、グロースハックの取り組みがより広く盛んになれば、素晴らしいですね。
(※1)フレデリック・ブルックスが1986年に著した、ソフトウェア工学の広く知られた論文『銀の弾などない— ソフトウェアエンジニアリングの本質と偶有的事項』
【本の紹介】
Hacking Growth グロースハック完全読本(日経BP社)
このコンテンツは株式会社ロースターが制作し、ビズテラスマガジンに掲載していたものです。
企画:大崎安芸路(ロースター)/取材・文:内田伸一/写真:栗原大輔(ロースター)