編集道 vol.1 装苑編集長 児島幹規さん

「編集」のプロフェッショナルから、編集者の極意を学んでいく新連載「編集道」。第1回目は、EDiT.編集長大崎の大学の先輩でもある、『装苑』の編集長を務める児島幹規さんに、編集者になったきっかけや、SNS時代における雑誌の役割についてお話を伺いました。

児島幹規 (こじま・みきのり)
1968年生まれ。岐阜県出身。専修大学経済学部経済学科卒業。1992年世界文化社入社。同年『Begin』編集部に配属。2004年、34歳で『Begin』編集長就任、実売数を飛躍的に伸ばす。2009年『MEN’S EX』の編集長に就任。その後ムック本などを手掛け、2013年10月に文化出版局に。出版事業部長兼『装苑』編集長として現在に至る。毎日ファッション大賞、Tokyo新人デザイナーファッション大賞ほか企業や各種学校でのコンテスト審査員も多数。

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きっかけは、自分が作ったページで人の人生が変わったという事実に感じた高揚感。

大崎 児島さんは僕の大学の先輩で、OB訪問をさせていただいたのがきっかけでお会いしました。僕らは専修大学の出身ですが、当時、専大卒で出版社に入れる人なんて全然いなかった。それでも出版社に入る方法を模索していたときに、藁にもすがる思いで行った学生課に卒業生の名簿があって。そこで10年分の卒業生名簿から、世界文化社の児島さんの名前を見つけて、当時所属していらっしゃったBegin編集部に電話をさせていただいたのが1994年。もう25年も前の話ですけど(笑)。

OB訪問当日は、仕事があるからちょっとだけと言われて。編集者の仕事はとても大変だと話してくださりましたが、当時の僕にはその児島さんの姿がすごく楽しそうに見えました。「編集者なんて勧めないよ」とだけ言い残して、お会計を済ませて去っていったんです。その後ろ姿がとんでもなくカッコよくて……。間違いなく、これが僕の原点でした。

児島 そう言っておかないと、責任は取れないから(笑)。とはいいつつ、勧めないなら会ってないですよ。

大崎 ありがとうございます。児島さん自身、編集者への道を志すこととなったきっかけってありましたでしょうか?

児島 大学2年の冬、電車の中で雑誌の中刷り広告が目に入ってきたと思ったら、目の前にその雑誌を読んでいる人がいたんです。“雑誌ってなんかすごいなぁー”くらいの思いを引きずりながら、なにげなく見たアルバイト求人誌で「雑誌創刊スタッフ募集」の文字を発見。それがきっかけといえばきっかけです。

でも、その際気になったのは職種より時給(笑)。今から30年も前に1,000円だった。風呂なしのアパート住んでいた自分にとって、編集も面白そうだし時給もいいし! と即応募しました。

大崎 えっ! 意外と苦学生だったんですね。

児島 いや、苦しくないし、むしろ楽しめた。例えば、一人暮らしを始めた最初の夏、扇風機を買いに行ったのにかき氷機買っちゃって、しばらくの間暑くても無風で過ごしたり(笑)。貧乏自慢じゃなくて、その状況を面白がれたということ。

余裕がないときって些細なことでも判断しなくちゃいけないけど、当時の経験が、用意されなくても目的を探せるのに役立っているのかも(笑)。今は高価なものを買ったり見せたりするYoutuberに憧れる子供が多いですが、成功している人はオリジナルの存在で、努力もしている。なにかの真似する前に、今の自分を楽しめる人がもっと出てきてほしい気持ちはあります。

あ、昔話をしていたら思い出しました。アルバイトの面接前日の夜中、寝ている最中に部屋の水道菅が破裂するという事件が(苦笑)。なんか冷たいなぁと目が覚めたら床が月あかりでキラキラと。それはそれは幻想的で……なんて余裕があるはずもなく(笑)、6帖のうち濡れた4畳分の畳を上げたらさらに寒くて。

床にたまった水を流し出した後、部屋を見に来た大家さんに“あら、なんとかなりそうね”と言われ、どこがじゃぁー‼‼ と心の中で叫んだ記憶が蘇りました(笑)。その月の家賃は半額にしてもらいましたけど、半額って1万数千円(笑)。

大崎 年齢は僕とそんなに変わらないはずですが、まるで1970年代の話みたいですね(笑)。

児島 90年のことだけどね(笑)。とにかくその応募で、ある編集部に週4日勤務で採用してもらうことに。働き始めると、社員さんはもちろん、営業や制作のアルバイトさんたちも東大、一ツ橋、早稲田、慶応、青学……と有名校ぞろい。

みんな良い人でしたけど、学歴社会の真っ只中。ある方から「二流大学のやつはハガキ整理が似合うね」とか「専大は荷物積んだ台車を押す姿が似合うよ」なんて言われることも。

今だと問題になりそうな発言も当時は当たり前。事実だから仕方ないとはいえ、やっぱり腹は立つ。でも、その腹が立つことが原動力になった。その感覚は今も変わらないんですが。

大崎 確かに、専大生はそういう扱いでした。先日、専修大学渋谷同窓会で、長谷部区長ともそんな話をしていました(笑)。

児島 そうそう、長谷部さんも専大(笑)。で、差別されたとはいえ学歴が劣るのは事実。悔しい気持ちをポジティブに転換するしかないので、アルバイトでも誌面を作って見返すことに決めました。

それなら海外取材! と、友人がアメリカに留学していたので、そこを訪れる流れでニューヨークにあるスクールへ。バイト代突っ込んで10数万円で買った一眼レフを抱えて、事前に電話しておいた日本人を頼りに「掲載の約束は出来ませんが」といいながら初取材。今思えばめちゃくちゃですね(笑)。帰国してから編集長のOKがもらえて、自分の写真と原稿で誌面を作ることが出来ました。

そこで目的達成! だったのですが、掲載号が発売して3ヶ月ぐらい過ぎたころ、編集部に「載っていたニューヨークの学校に行くことにしました! 」というお礼の手紙が届いたんです。自分が作ったページで人の人生が変わった! という事実に、とてつもない高揚感を感じて。こんなに凄い仕事はない‼‼‼ と。それで編集者を目指しました。

大崎 僕たちの仕事って、良いものを分かりやすく伝えることが大切ですが、人の心が動くというか、人生が変わるようなきっかけを与えられることが醍醐味ですよね。

児島 そのための地味な作業を楽しめるかどうか(笑)。自分の編集に対する考えは今の話がベースだから、誌面の先には読者の行動があって欲しい。『Begin』時代は良くない商品を掲載したくないので撮影前に掲載商品はほとんど確認したし、原稿も校了まで3回読んで直したり。

『装苑』は、誌面を通じて新たな感情を抱いてほしいから、見たことがあるものにならないようにテーマを用意するのと、本質とかけ離れた表現はしたくないし、させたくない。思い通りに出来ないことも多いけど、意識は高く持ってないと出来ることも出来なくなるので、そこは注意していますね。

あと、たとえ見た目が美しくても、記憶に残らなかったり、何も伝わらなければその誌面には意味がないと思っていて。雑誌はスマートフォンで何十万人が目にする情報と比べて拡散力は劣りますが、限られた人しか見ないとはいえ、その人たちが何回でも見てくれるものが作れるし、作らなくてはいけない。そうすればSNSの数百倍、深い場所で人の記憶に残せます。

天才じゃないなら、人の倍努力する。

大崎 学生で編集を経験された後、どんな流れで『Begin』編集部に入られたのですか?

児島 普通に就職活動して、新卒で入りました。就活先は出版中心、あとは広告代理店でしたが、今でいうエントリーシートを送っても「今年は採用しません」という、いわゆる学校名での足切りもいくつか(苦笑)。また、書類は出せてもそこで大半が落とされました。専大の経済学部がクリエイティブ志望じゃ当然なんですけどね(笑)。

40社近く応募して受けることが出来たのは一桁。だから拾ってもらった世界文化社には感謝しています。入社した5月に『Begin』編集部に配属になり、12年間異動なく2004年に編集長に。編集長は5年半でしたので、計17年半の間『Begin』編集部でした。

大崎 児島さんは、新人編集者時代にどんなことに気をつけていましたか?

児島 すごい先輩たちがいたからこそ、毎年1人ずつ超える! みたいな目標を立てて。面白い人が多かったので、自分は地味に編集力をつけることにしたんですが、そこを目指すと通常の仕事がない時間帯、つまり平日の夜中や週末に一人で勝手に作業するしかなかった(笑)。

天才じゃないなら人の倍努力するしかないんですよね。だから、やらされたのではなくて、その取材行きます! その原稿書きます! と仕事を貰っていく感じ。

スタジオではカメラマンから見た撮影のしやすさを聞いてスタイリストみたいなことをやってみたり、レイアウトを出す際には書体や字間行間、色の組み合わせなどを考えつつ原寸でラフを書いたりして。

当時は一定の時間までしか残業代が出ないのが普通でしたから、あとは好き勝手に、それこそ朝まで会社に居てもそれほど怒られませんでしたね。残業代なんてなくても、キャパが広がるのが面白かったし。気が付けば入社1年目の1月には30ページ以上担当していました。

大崎 それは凄いですね! そのバイタリティやこだわりは若い子たちに見習って欲しいですね!

児島 うーん、今の子に大変そうな姿を見せたら真似しない。その前に、やりがいみたいなのを自分で見つけてもらえればいいのだけど。自分は、やりがいというよりただの負けず嫌い(笑)。

20代、30代の頃は今じゃ絶対に出来ないし、ここで言えないくらいの残業をしていましたが、何かの真似をするのが嫌だったので、ゼロから考えるには時間を使うしかなかったんです。

もちろん、今は長時間働くことを推奨しません。とはいえ、自発的に取り組める環境が少なくなくなったのは気になります。守られているのと挑戦出来ないのは別。そこは個として、各自がどう動くかしかありません。

大崎 当時の『Begin』って特殊な雑誌だったと思います。おしゃれなモデルや写真でファッションを見せるわけではなくて、ただ本当に洋服が好きな人たちが集まって、編集部からもそれが常に伝わってきた。

当時の日本のファッションを引っ張っているセレクトショップの『ビームス』や『ユナイテッドアローズ』、『ベイクルーズ』など、ファッションの重鎮たちが崇拝していましたから。

児島 編集長がリースして原稿を書いて。楽しんでいたのが誌面に出ていたとは思います。それから、ある部分ではショップのプレスよりモノに詳しかったし(笑)。

そういえば、『装苑』に移った後でガマさん(村松周作さん)が近くに行くからと連絡をくれて。それまで褒めてもらったことなんてなかったのに「児島さんの『Begin』はモノに詳しくない人が読んでも面白くて、ファッションに詳しい人が読んでもバカに出来ない、とんでもない雑誌でした」と、わざわざ言いに来てくれたのが嬉しかったですね。そこを狙ってあえてお洒落にしすぎなかったのを、わかっていましたと。

もう10年も前になりますが、当時は本当に驚くほど売れましたね。たまたま時代にハマっただけなのかもしれませんが、とにかく実売で10万部以上売れる雑誌を編集できた環境にも感謝しています。部員もめちゃくちゃ働いてくれました。今だと間違いなく怒られます(苦笑)。

ファッションを全面に出すと雑誌が売れない時代に、若者とファッションへの接点をどう作るか。

大崎 でも、『装苑』の編集長に就かれたときは本当にびっくりしました。児島さんも『装苑』もすごい決断したなって。

児島 出版の事業部長として呼んでいただき、気が付いたら兼務で『装苑』編集長。だから一番びっくりしたのは自分です(笑)。当時の理事長の判断でした。とはいえ、自分よりも部員やスタッフが大変だったと思います。お互い信頼関係ゼロから始めることなんてなかなかないですから。

かつての関係者から、昔のほうががよかったと面と向かって言われることもありましたが(苦笑)、スマホがない時代とはやることはかなり違いますから。自分が見ても『装苑』は昔のほうが美しいですが、現代の若い人には今のほうが伝わると思っていますし、実際、部数は増えています。

大崎 難しくもあり、面白いところですね!

あと、今は様々なジャンルが混在しているのが東京の、日本のファッションカルチャー。10数年前にカテゴライズされたものにとらわれていたら雑誌は作れません。『Begin』も『装苑』も、何かと比べられないものを目指しているのは同じで、そのために必要なのが整わない美しさを狙うとでもいうか。媒体の性質は異なりますが、一番難しいところを狙うのは同じかもしれません。

今の課題は、ファッションを全面に出すと雑誌が売れない時代にファッションへの接点をどう作るか。好きな芸能人が出ているという理由で買った人が、偶然見たページで「この服好きかも」と思ってもらえれば、それでも良いんです。

あと、『装苑』には着られない服しか載っていないという声をたまに聴きますが、全部の服を着てほしいなんて誰も言ってないんですよ。誌面から色でも写真でもデザインでも、なにか気になってもらえれば。雑誌って本来そういう役目で、時代に消費されるような、その他大勢を作るものではなかったはず。SNSの普及で、今後は改めて雑誌はそんな立場に戻るとは思いますが。

大崎 僕が『Soup.』の編集長をやっていた頃、19歳で雑誌を初めて買ったっていう読者がいたのでびっくりしたことがありました。僕らの感覚だと、雑誌は中学生くらいのときに一度通るものだと思っていたので。

児島 昔はそう。だけど、今はそのくらいの年で自分の“好き”がやっと表に出せるから、当たり前だと思ったほうがいいかも。先にスマホを手にするから、自分が好きなことを知る前に、どんどん情報が送り込まれてくる。だからこそ、スマホでしか情報を得てない世代が雑誌で衝動を得たら、その感覚や記憶と一緒に引き出しが増えていくはず。

スマホに届いたものとは違う距離に気が付いてくれたらいいし、そうあってほしい。その距離がわからない人にとってはスマホで全部ことは足りるわけですが、それはそれ。人それぞれでいい。そういう意味でいうと、ある程度の想像力がないと雑誌は楽しめないのかもしれません。雑誌の楽しみ方は与えてもらうものではなくて、自ら入り込むものだったりするので。

自分の好き嫌いではなく、読者に届くかどうかが重要。

大崎 なるほど。情報の送り手こそアップデートが必要ですよね。ちなみに児島さんはずーっとお忙しい印象ですけど、プライベートをどのようにお過ごしですか?

児島 休みができたら海釣り。乗合船。一人でも行きます。仕事に関することは、その後上手くいくとか、危険だとかは大抵予測出来ますが、海の上では魚が釣れるかどうかなんて予測出来ないのが楽しいみたい(笑)。どうにもならない相手と戦う面白さですね。

だから、あえて天気が悪いのに行ってみたり(苦笑)。編集も釣りもある部分ギャンブルみたいなところは一緒かも。ある程度リスクを冒さないと人と違うものは手に入らない。

大崎 それって実は、仕事と関係していますね。

児島 船に乗るのは、仕事と関係ない場所に居たいだけかもしれないんだけど、海の上にでも仕事のメールは届く(笑)。仕事に関係しているとしたら、戦略を練るみたいなところかな。

あと、自分が海の上に行きたいのは、普段の生活は全部仕事に結びつけてしまうから。街の中や電車で広告を見ると、モデルさんの顔の向きとか、デザインや書体、色とか気になって。

でも、その良し悪しを判断するには目的が必要。自分の好き嫌いで決めるのではなくて、読者に届くかどうか。そんなことをしていると、意味や目的を常に考える癖がついたのと、好き嫌いよりも状況に良いものを選べるようになって。

SNSなどでは自分が対象者でないのに自らの領域に持ち込みながら文句を言う人が結構いますけど、主観はもちつつも、編集者は常に俯瞰して見ていられないとだめですね。

大崎 誰もが目にする日常のなかに、たくさんのデザインはありますよね。僕らが何気なく見逃せず、気になるのは職業病なんでしょうか(笑)。

児島 言葉よりもデザインのほうが人との接点になりやすいから、気にするのは大事だと思う。そのためにはデザインの中でも色がかなり重要だと考えていて、例えば、みんなが好きなアニメのキャラクターって誰が見ても好きな色で構成されている。

だから色のバランスで迷ったら子供の好きなアニメのキャラクターの色を例えに伝えてみたりすることも。趣味や遊びに近いところのほうが、説明しても理解されやすいこともあるのだけど。

大崎 僕は仕事と遊びが結びつくのって、今の時代は大事だと思っていて。あとは、知らないことを知ることが出来る場所が、自分にとって良い環境だと思っています。

児島 自分も20代前半は、知ったかぶりして損した(笑)。知らないと恥ずかしいなんて気持ちは邪魔。自分は今でも原稿書きますけど、知らない人が書いて面白いわけがない。少しぐらい知っていても、教えてくださいと言えることが編集者には大事かな。

自分は20代でそれに気が付けた。今年で52歳になりますが、初めて編集長になったのは34歳。編集長って立場上怒られることがなくなるんだけど、以前ある人に「あなた、しばらく怒られてなさそうだから、私が怒ってあげる」と言われたことが(笑)。でも、その後ですごく感謝しました。

大崎 そう。怒られなくなるのは本当に寂しい。学べる機会は、年を取っても失いたくないですね!

児島 服飾専門学校や文化の中で特別講義をするので、学生と話すことは多いのですが、今の子は損得勘定が先に立ちすぎで、その結果経験不足になっている気がします。これをやったら褒められる? じゃなきゃやらない、みたいな。客観的な評価を気にするのが一番邪魔で、折角の機会を逃しています。

損得でいえば、何もしないでお金もらえるのが一番得なのかもしれないけど、そこに達成感もなにもないし、それでいい訳がない。自分が勝手に他の編集者を見て思ったのは、自分に余裕があるのになぜライターに原稿を頼むの?って。普段会えない人に会えて、自分が初めてのことを聞き出して、読者に発見を届けられたら最高なのに。

取材中にこれ使える! これはダメ! とか考えながら話を進めるのは本当に楽しい。それが楽しめない人なら仕方ないんだろうけど。だったらやらなきゃいいのに、とも思う。今までいろんなジャンルで数千ページ書いてきたけど、今でも書くたびに楽しいし。

編集者は伝えることのプロであるべき。

大崎 そんな児島さんにとって、編集者とはなんでしょうか?

児島 一言でいえばなんでも屋。でも、編集は伝えることのプロであるべき。そのため学者であることはマストで、ときには役者だったり芸者になる必要もある。ただ、一般的にはクライアントをたくさん抱えている人が編集長という時代になって暫く経つので、学者的編集者は評価されにくくなったかも。

本来、縁の下の力持ちだった編集者が、舞台上での太鼓持ちが増えすぎてもいいのかどうか。読者が自分に関係のない記事を、発見と捉えるより不要とする見方が強い時代。

新しいものを受け入れられない人が多い時代に雑誌の提案は難しいのでしょうが、だからこそ必要。なんだかんだ言って、サイトに載っている話のほとんどがテレビと雑誌の引用ですし。

大崎 なるほど。児島さんは、雑誌のことを本当に愛していらっしゃいますよね。就任当時、児島さんが考えられた新しい『装苑』のコンセプトはあったのでしょうか?

児島 もう6年以上前になりますけど、知人に『装苑』のイメージを聞いてみたら、まだあったの? という返事で。それを受け止めつつ、海外のコレクションがスマホで動画配信される時代に『装苑』が何をすべきか考えました。創刊当時のコンセプトを調べたら「洋装の改革とその普及」とあったので、それを自分なりに今に置き換えることに。

そこで10年後に自分の好きな服を着ている人を少しでも増やすために、自分の好きを貫くことが個性を生むことを伝えるところまで立ち返ろうと。

大崎 それはどういった意味ですか?

児島 他人の評価を気にしていたら、自分が欲しいものを選べる人が増えませんから。世の中にはスタンダードがあればいいという人もいますが、スタンダードも生まれたときはアバンギャルド。最初はだれも見たことがないものなんです。

『装苑』は安定志向の人に読んでもらう雑誌ではありませんが、いろんな種が詰め込めて、そこから芽生えるものを送り出すのが役目。

大崎 なるほど。それで、どのように進めていったのでしょうか?

児島 今でも手探りですよ(笑)。受け持つようになった当初は『マスの中の異端児』という言葉を使って、まず知ってもらわなければ存在価値すらないと部内に伝えて。

数年前から、勝手に自分の中で裏テーマを作るようになったんですが、2年以上前から継続してしているのが『くたばれインスタ映え! 』(笑)。会ったこともない他人の目を意識した写真を撮って安心なんてしていたら、本当に自分の好きなことにたどり着けなくなるので。

今の世の中は、考えなくていい人を増やすことで儲けるビジネスが多いので、思慮深くない人達が増えているような気がします。そのままでいいんだよ、みたいに言われて安心させるような。2017年の年末、テレビを見ていたら“映え”れば勝ちと洗脳するような報道にイライラして(笑)。

自らその他大勢になって喜ぶ人を増やすのは、自分らしさを放棄させているだけ。それで安心する人がいるのは事実なんだろうけど、それが個性だと勘違いさせているのも怖くなった。

それで2019年は個性を言い換えた企画として『アイデアの可視化』『アンバランスなバランス』『わたしの色』『偏愛論。』などを特集しました。2020年はまだ何も考えていませんが、まだ、もう少し時代に寄せないとだめなのかも、とは感じています。

ルールがないのが、今のルール。

大崎 児島さんのポストは兼務が多すぎてとても特別といいますか、今はどの編集部も、なかなか編集長業務だけに集中させてもらえることが少ないですよね。そんなとき、やはりルールは必要ですか?

児島 世の中に存在するルールの大半って、決めたときの管理者が、自分が楽をするために作ったものだと思っています。だからどんなルールでも、その都度見直しは必要だし、フィットしなければ変えなくてはだめ。明らかにおかしいのに変えなくていいと言う責任者は、面倒なことをしたくないだけ。ただ、無いほうがいけど、無いと進まない組織ならルールも仕方がない。

ちなみに雑誌を作る上でのルールでいえば、誌面レイアウトが一番わかりやすい。誌面のデザインがフォーマット化された雑誌って安心して読めますけど、読者の大半はその情報を得ることで安心したい人。作る側もフォーマットがあったほうが楽です。今の『装苑』が誌面のデザイナーを固定しないのは、毎回テーマが違うから、感じるものが違ってもらわないといけないので。読者が求めるのが安心より発見という媒体ですし。

たまに、ご年配の方から統一されていなくて見にくいと言われますが、この場を借りていうなら、60、70代の方向けに作ってはいません(笑)。ですが、コシノジュンコさんが今の『装苑』は面白い! と言ってくださるので、大事なのは年齢よりも感性なのでしょう。

質問に戻ると、自分らしくいたい人たちのための雑誌ですし、ルールがないのが、今のルール。もちろん失敗もありますけど、見たことがない誌面もたくさん出来上がっています。

大崎 『装苑』は独自の世界観と濃厚なコンテンツが魅力的ですが、どうやって作っていくのでしょうか?

児島 情報はみんなが集めてくれます。やりたいことは部員がみな明確に持っているので、それらを向ける方向や、飛ばす距離みたいなものを調整したり指示したり、みたいな感じ。あえて何も言わない企画もありますし、自分のイメージに寄せてもらうよう指示することもあります。

企画毎に目的が異なるのでなんともいえませんが、半分はみんながイメージしたものを確認しながら、もう半分は自分の無茶振りを部員が探っていくというか。スタッフありきではなく、企画ありきなので新規のスタッフ起用も多く、毎号実験です。

『Begin』時代は撮影前というか、掲載商品を決めると同時に誌面構成は決めていましたけど、『装苑』の場合は仕上がりを決めつけると逆につまらなくなることがあるというか、担当が“それをやればいいんですね”とならないようにしないといけなくて。

自分よりも現場スタッフのほうが当然読者に近いので、彼女たちの感覚に任せながら、自分が調整役になっています。そういう意味では、入ってすぐアートディレクターの固定を廃止しましたけど、各部員がデザイン込みで誌面をイメージするようになったので、それは良かったと思っています。

大崎 『装苑』編集長としての使命感みたいなものはありますか?

児島 もちろん! その一番が、細部で自分を殺すことかも(笑)。自分が好きだからこのブランドを、この人を、は一切無いです。テーマやデザインには自分の好きというか、考えをかなり入れますけど。

あと、雑誌のイメージと異なるので、編集長SNSもやりません。『装苑』読者におっさんの日記を見せたって仕方ないですから(笑)。それも、使命感の一部です。あとは、当たり前ですけど、これからの読者が好きそうだなと思うものを強くイメージすることでしょうか。

自分の価値観で、自分の中に物差しを作るべき。

大崎 編集者は常にアンテナを張っているべき職業と言われますが、児島さんはアプリやWEBニュースはチェックされますか?

児島 何も使っていません。たまに検索するのは反響等の確認ぐらい。そもそも誰でも見られるものを情報源にしていたら、その時点で編集者失格でしょ(笑)。例えるなら、ウィキペディアのコピペをするライターなんて最悪だし。

『Begin』時代は、資料に乗っていないことを書けと散々言ってました。部員の原稿に、新しいことが書いてないと、校了時に自分で電話して追加取材していました。

どこにも載ってないことは聞くしかないんです。だから何を聞くべきか、というセンスがその編集者やライターのオリジナルになるわけです。

大崎 アンテナを張っていれば良いってことではないということ?

児島 アンテナの張り方を間違えると、そこからしか情報が入らないので、逆に視野が狭くなります。自分のアンテナの張り方があるとしたら、全部アウトプットしてしまうことでカラにすることと、わからないことを、わかりません! と言うこと。

『装苑』では部員が情報を持ってきてくれますが、とはいえ、自分自身の情報源や答え合わせも必要。その場所が、実は取材時!!

2019年の主なところでいうと星野源さんと吉田ユニさん、宇野亞喜良さんとヒグチユウコさん、渡辺直美さんととんだ林蘭さんの対談だったり、タカコノエルさん、のんさん、山本彩さんなどのインタビューに同席して原稿を書きました。

誌面に書いていない部分でもたくさんの情報がありますし、そうした会話の中で感じたことが後に生きてきます。会話の中で感じることってとても大きいですね。

大崎 確かにインタビューの最中で学ぶことって多いですよね! ちなみにSNSからインスピレーションを得ることはないのでしょうか?

児島 逆に質問です。インスピレーションってなんでしょうか?

影響を受けるって、操られたり振り回されることとは異なります。世の中にはインスピレーションとかモチーフと言い換えただけの真似も多いです。SNSをやらない自分が言うのもなんですが、SNSは、見る側にいるだけでは価値は無いのでは。

SNSの恐ろしさは、何万人、何十万人と同じ情報を手にしているのに、自分一人に届いたような錯覚に陥ること。たとえば、たくさんのファッショニスタをフォローしている人も、その大半を数秒しか見ていのではないでしょうか。

インスピレーションって理由などなく見た瞬間に何を感じたかが大事であって、その相手が誰とかは関係なくて。フォローして得るのは安心が多いのではないでしょうか。

SNSでもなんでもいいんですけど、パクることとインスピレーションの違いって本人しかわかりません。本来、何も見ないで浮かぶのが本当の自分の表現したいことですし。

大崎 自分の感情ではなくて、SNSで見たものすべてが気になるのって危険ですよね。

児島 いろんな意見はあるでしょうが、自分は一番良くないと思います。「私、この50人をフォローしているからすごいでしょ」って言われても……、そんな人は何万人もいるわけで。だったら、たくさんフォローするよりも、一番好きな1人に会いに行くほうがいい。

若い子たちって試験でもなんでもこれまでの大半が選択。ご飯を食べに行く先もスマホに依存。選べる範囲の選択しかしないから、それ以外のことに気が付けなくなる。

しばらく前からフェスに行く若い人が増えたと思いますが、自分から行くことで体験できるとわかってきているはずなので、それがファッションに置き換えたらどうなのだろう、と。ライブで好きなアーティストの衣装を見ることが、今のファッションショーなのかもしれないし。

大崎 今だからこそ若い人たちにはやりたいことやっていてほしいというか、仕事=お金じゃなくなってきているから自分のやりたいことやったほうがいい。

結局、本気で面白いって言っているから信じるし、かっこいいって言っているから信じるんですよ。仕事だからって仕方なくやっているものってもはや誰も信じない。

児島 自分の中に物差しを作るべき。自分の都合ではなく、自分の価値観で。サイトでの評価が高いお店で食べたとしても、自分が不味いと思ったら不味くていいし、不味いと言われても自分が美味しいと思ったら美味しいって言えないと。でも、世の中多数決だらけだから、不味いと言われているものを美味いと言うとバカにされるから言えない、みたいな恐怖がある。

ファッションなんて最たるもので、学生からは本当は着たいのに他人から何か言われるのが怖いとか、いじめの対象になりそうで着たい服が着られなかった、という話もよく聞きました。ただ、それも少しずつ変わり始めている気がしています。

大崎 では、紙媒体にあって、WEB媒体にないものは何だとお考えですか。改めて、紙の強みとは何でしょうか?

児島 お金を払って買ってもらえること。その価値のある誌面を作ることでしょうか。WEBって中身がないものほどタイトルを煽る傾向にありますが、雑誌であれをやったら二度と買ってもらえません。一部のコアなサイトを除いて、WEBに関わる人たちは情報を生むのではなく自ら消費している場合が多い気がします。

あと、WEBの編集者はデザインや文字量に縛られず取材が出来るので、編集の一番面白いところがわかっていないようにも思います。それが悪いわけじゃないですが、やっぱり紙の編集者のほうがいろんなこと考えますし、気が付くというか、差は大きいですね。

今日の話も長いけど、この記事は大丈夫かな。出てるのがおっさん二人だし、長くて読みやすくもないと思うけど(笑)。

媒体として、出たいと言われ続けることが一番大事。

大崎 『EDiT.』は……頑張ります! ところで今後の雑誌についてどう捉えていますか。

児島 自分がどうこういう立場ではないですが、紙やWEBに限らず必要なら続いて、求められなければなくなります。紙・印刷代の経費が掛かる分、雑誌の継続が厳しいのは事実ですけど。

ちなみに『装苑』は隔月刊にして2年が経ちますが大正解でした。即時性ではデジタルに敵うわけがないので、見たことがない誌面が作れるように時間をかけるためでしたが、実売数は増えて、人の記憶に残せる仕事がしやすくなりました。

『装苑』はもともと読み返してもらうタイプの媒体でもあるので、2ヶ月に一度がちょうどいいと思います。

大崎 確かに。WEB媒体が今後どうなるかについて伺いたいです。

児島 まだ紙の数は減ると思いますが、元々日本には紙媒体の種類が多すぎるので「広告のため」だけの雑誌は淘汰され、目的がある雑誌は専門誌化しながら残るでしょう。WEB媒体がどうなるかは、今以上に情報を個人が出し、そうした動画も増えることで、文字を読んだり書いたりすることに興味が動くのかも。

すでに良い写真を撮るより、良い言葉が書けるようになりたい若い人が増えているようですし。紙はなにか専門に特化するか、アートに近いものになるでしょうが、どちらにせよ面白ければ残り、そうじゃなければなくなる。

WEB媒体の今後は、50過ぎのおっさんじゃなくて、若い人に聞いてください(笑)。年々『装苑』に出たい! という連絡が増えていますが、媒体全般の基本として、出たいと言われ続けることが一番大事! ということにしておきます。

一番高い妥協点を探せ。

大崎 いま、雑誌を作る上で一番大切にしていることってなんでしょうか?

児島 雑誌だけじゃないのでしょうが、歴史があればあるほど、変わる勇気を持つこと。続いているものって、実はずっと変わっていますから。終わらないために変わるというか、環境は変わっていくので、継承するために変化は必要。今は歌舞伎がスターウォーズとコラボする時代。賛否はあるだろうけど、それで本来の歌舞伎に興味を持つ人が増えればいいのだと思います。

『装苑』も、そんな感覚です。賛否はありますが、しばらく前は賛否すらなかった。変わるというのは、それまで見たことないものを作るためにも必要。たまに編集長が変わっても雑誌のイメージが変わらないことってありますけど、それらの大半は変えないのではなく、変えられないのだと思います。

大崎 最後に、編集者の極意を教えていただきたいです。

児島 人それぞれ、やり方は同じじゃないからいろんなページが出来ていいのだと思いますが……、自分が昔、よく言っていたのは「一番高い妥協点を探せ」ということでした。大金使って一年かけて作ればよい雑誌が出来て当然だけど、時間や予算の制約のある中でやるのが仕事。

複数の企画を同時に進めて締め切りもあって。その条件の中で最高のものを作るためには、早く決めたいところを我慢して、グレーな状態のまま、どこまで上に引っ張り上げるか。読者からすれば、たくさん時間をかけて撮影したものも、一瞬で撮った写真も同じ。

30年この仕事をしていますが、余裕をもって編集出来ることなんてまずない(笑)。だからどんな条件下でも、どうしたら目指すものに近づけられるか、そのための手段を考えることが、編集者に必要なことだと思います。

企画・インタビュー:大崎安芸路(ロースター)/編集:小曽根瑚々(ロースター)/写真:田形千紘

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