35歳女なので、ずっと静かに怒っている。

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EDiT.編集部

株式会社ロースターによるオウンドメディア「EDiT」編集部。「EDiT」では、編集やビジネスに関する情報を発信しています。

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最近やたらと「編集だ!」「すべてに編集思考が大事だ!」と言っている人を見かける(このサイトのコンセプトがまさにこれなんだけど)。

そのちょっと前までは「デザインだ!」「すべてにデザイン思考が大事だ!」と盛り上がっていた流れのニューウェーブのようで、とにかくビジネス界隈には、仕事において新鮮な視点を与えてくれる「考え方」が流行るらしい。

正直何が違うのかがよくわからないが、今「デザインっぽい考え方」より「編集っぽい考え方」が大事だよね、と言われている理由には、ちょっと思い当たることがある。

仕事をしていて、というより、プライベートも含む部分で。「いや、もうちょい、編集しっかりしてくれないかな…」と思ったり、「私、編集者と名乗っている人間として、これで良いのか?」と思ったりして、日々憤ったり、反省したり、絶望したりしている。

この連載は、そんないち編集者の、自分自身と社会への怒りの連載だ。

「編集っぽい考え方って大事だよね」っていう言葉が、「そのほうがおしゃれでハッピーでお金も稼げる」的なお気楽さじゃなく、(個人的に)「それ超真面目に考えないと社会が終わるじゃん」くらいの切実さを持って響いている。

目次

集めちゃいけないもの、編んじゃいけないこと

編集といってもいろいろな職種の人がいるけど、ざっくり全員の仕事に共通するのは文字通り「集めて」「編むこと」。

そう、書籍を作るにしても、雑誌を作るにしても、広告を作るにしても、とにかくアイデアや人、おもしろい物事を集めて、いい感じにまとめて、すてきなひとつの何かに編み上げるのが編集という仕事だ。

なんでそれが、他のビジネスでも大事だよね?と言われるようになったのか。

その理由のひとつは、最近「集めちゃいけないもの、編んじゃいけないこと」がだんだん明確に叫ばれるようになってきたからだと思っている。

例えば、広告の炎上。最近はSNSのおかげで「いや、これないでしょ」という意見が以前よりはっきりと見えるようになり、ポスターでもCMでも炎上が原因でリリースされてすぐ取り下げられる事例が増えてきた。

そういうのを目にする度に、消費者側の立場になって「いや、これないでしょ」と憤ったあと、必ず「私がもし、この案件に編集の立場で関わっていたらこの炎上を止められたのだろうか」と考えるようになった。

問題なのは、「正直、今はまだ止められる自信がない」という結論になることが多いことだ。

怒っていると言いながら、なんで止められる自信がないのか。それは、これまで炎上してきた数ある案件のほとんどが、たぶん、制作チーム側の視点に立つと「完全に無意識で(悪意なく)仕上がってしまったもの」だと思うから。

もちろん、悪意がないし無意識でやってるんだから仕方ないじゃん、と思っているわけでは全然なくて、自分が制作側に立ったときの敵なるものが「自分の無意識」だという事実に背筋が凍る。

ビビって、「無意識になんて勝てなさそう」と思ってしまうし、何より「私ひとりが勝てたとしても、制作チーム全体(クライアント含む)の無意識と戦うガッツが私にあるのだろうか.......」と自問したときにさらに打ちのめされたりする。

誰かのハッピーを願って集め、社会を良くすると思って編んだものが、「無意識のうちに」誰かを傷つけていることの恐ろしさ。「誰か」ですらなく、私の家族、友達、会社の同僚、そして私自身の何かしらを損なわせてしまうかもしれないものを、「無意識で」作ってしまうことへの悲しさ。

そんなことを起こさないためには、日々、自分が集め、編んでいるものへの敏感すぎるくらいの意識が必要だ。本当に、誰かが「考えすぎでしょ」と言いたくなるのも、(イラッとしつつ)理解はできてしまうほどの、過剰な敏感さが。

え、私ルッキズム(外見至上主義)の助長に加担してない?

そんな風に意識をしだすと、仕事をする上で「気になること」がたっくさん出てくる。

中でも、仕事上「美しいとされるもの」を作り出す場面が多いので、「美への定義」にモヤつくことが非常に多い。

例えば、クライアントから「外国人のモデル」のみを指定されるとき。また例えば、モデルさんやタレントさんの身体をレタッチで美しく加工する指示を出すとき。ファッション雑誌やコスメの広告に入れるテキストとして「これを着れば即やせ見え!」「女性らしさがUP」「簡単に大きな目に」「若さをキープ!」とか書こうとしてしまっているとき。

こういうムーブはすべて、アジア人の見た目より西洋人の見た目のほうが美しいとする西洋人(特に白人)至上主義や、痩せているほうが正義、若いほうが正義(特に女性)という決めつけを無意識に取り込んでいるから起きることだ。

服を、コスメを、何かしら他のアイテムを「良く見せたい」のは分かる。良く見えたほうが、売れるのも分かる。

でも、でもね、その「良く見える」基準を勝手に作ってきてしまったのって、私たちメディアの責任じゃない?

しかもその勝手に作った基準に踊らされて、その意味が風化していくことにすら気づかず、めちゃくちゃ無意識にその勝手な基準を広めまくってない?と、自分がやってることなのに恐怖を感じる。

もはや、どうやったらそれを止められるのかがわからなくなるほど「やせててすごい!」「40歳なのに20歳ぐらいに見えてすごい!」「顔がまるで外国人みたいでかわいい!」という妄想が定着してしまっている。

なんだか、仕事をしているとずっとこの世のルッキズム(外見至上主義。外見によって人物の価値をはかること)を増長させているようでクラクラする。

どうしたらいいんだろう。

個人的なモヤモヤの原因を自分で作っちゃってない?

こういう話をすると、10人中7人くらいは「気にしすぎじゃない?」「そんなこと言ったって仕方なくない?」という返事をする。

それで、「そうかも.....そうだよね.....」と思ったりして、その数秒後に携帯を開いて「ママなのにこんなにきれい」「この人、実は55歳なんです!」みたいなコピーがついた広告が目に入り、「クソ、やっぱり『そうだよね』とか言ってちゃダメだわ」と自分自身が情けなくなる。

親であることとか、年齢というのはただの事実でしかなく、世の中にはその人の数だけ多様な見た目があるのが当然なのに、どうやらこの世界は、例えば「母になったらこういう見た目で当然」というような謎のルールがあるらしく、その”ルールに反して”「美しいママ」であることを褒める傾向がある。

つまり「母親になったら全てが子ども優先だから、疲れてて、髪もボサボサで、おしゃれには無頓着で、年取って見える」っていうのが普通だと、ほとんどの人が思っているらしい。もはやウケる。

そしてさらにウンザリしてしまうのは、こんなに自分で嫌だなと思っているのに、例えば仕事でモデルや出演者のプロフィールを書くとき、それが女性である場合のみ「2児の母でもある」とか、”いい点を挙げているつもりで”無意識に書き足していることがあることだ(ハッと気づいて削除する)。

男性出演者のプロフィールに「2児の父」って無意識で書くことはあまりないのに。そういう、小さい小さい無意識が、私たちが作るものを通して社会にジワジワと刷り込まれ、その結果「ママなのにこんなにきれい」みたいなコピーを誰かに書かせる。

編集者の無意識は罪深い。

「気にしすぎだよね」とか言ってる場合じゃない。

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