小鹿田のネクストジェネレーション! 28歳の陶工・坂本拓磨さんにきく、10年目の思い。

「EDiT.」が贈る民藝シリーズ「ミライノミンゲイ」。第1回目では、大分県日田市の「小鹿田焼協同組合」で副理事長を務める名陶工・坂本浩二さんに、日本を代表する民藝「小鹿田焼」の現在と未来について伺いました。

シリーズ2回目となる今回は、そんな坂本浩二さんの長男である坂本拓磨さんに密着インタビュー! 18歳で家業の「坂本浩二窯」に入り、2023年でちょうど10年。2022年12月には、自身2度目となる「日本民藝協会賞」を受賞したばかり。民藝一家に生まれ育ち、そして偉大な父を持ち、その中でも着実に「坂本拓磨」として作品のファンを増やし続ける28歳。その脳内を覗くべく、「小鹿田焼の里」を訪れました。

→坂本浩二さんへの単独インタビュー記事はこちら

→小鹿田焼の魅力と窯元全9軒の徹底解説はこちら

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坂本拓磨プロフィール

現在計9つある小鹿田焼の窯元のうちの1つ「坂本浩二窯」にて、2013年より実父と共に作陶する。今年春に里に新人が入るまでの約8年間は、小鹿田焼の陶工の中で最年少。2015年に21歳で「日本民藝協会賞」を受賞。さらに2022年12月にも同賞に輝く。2023年に作陶生活10年を控え、さらなる活躍が期待される若手陶芸家。

坂本拓磨さんの作品たち。みずみずしい存在感を放つ釉薬使いが特徴。


目次

2ヶ月に1度の火入れの日。登り窯で拓磨さんと初対面

「小鹿田焼の里」を訪れたのは、2022年10月6日。年に数回あるという火入れの当日です。「火入れ」とは、専用の窯に薪をくべ、器を焼く作業のこと。拓磨さんの窯では年に5回、約2ヶ月ごとに行われ、その間に成形した器を一気に焼き上げていきます。

拓磨さんが火入れを行うのは、こちらの「登り窯」。窯の横にびっしりと置かれているのは、この後くべる予定の大量の薪。薪には主に、地元の日田杉が使われます。

「登り窯」は、傾斜の上に階段状に築かれており、複数の窯が連なってできています。下から上へ、時間をかけて少しずつ火を移動させていく東洋古来の窯のカタチ。

取材で訪れたこの日は、拓磨さんの「坂本浩二窯」と、そして「柳瀬裕之窯」「黒木昌伸窯」というご近所の2つの窯、合計3つの窯が共同で火入れを行っていました。

窯の前で談笑する、拓磨さん(左)と、柳瀬裕之さん(中央)、黒木昌伸さん(右)。同じ窯で作業する先輩たちとの、なにげなくとも大切な時間。

「小鹿田焼の里」に到着後、拓磨さんが作業する登り窯へ向かうと、すぐに3人の姿が目に入りました。

実は民藝沼にハマって10年以上の筆者。あこがれの小鹿田焼の、しかも火入れという貴重なタイミングにお邪魔するとあって、「職人の皆さんが殺伐とした空気だったらどうしよう…」と少々(いや、かなり)緊張していたのですが、この風景を見たとたん、ほっこり。ほっと胸を撫で下ろした次第。

拓磨さんと、柳瀬さんと、黒木さん。同じ登り窯で作業する同志であり、おうちも超ご近所という仲。年齢はバラバラですが、親戚の集まりのような穏やかな空気感が漂っています。

今日は長丁場の作業(火入れの作業は約50時間、ぶっ通しで続くんです!)となるため、登り窯の前にレジャーシートを敷き、ブレイクタイム用のお菓子や飲み物をセッティング。その光景だけを見ていると、まるで親戚どうしでピクニックを楽しんでいるようにも見えますが…。

窯の火力が弱くなり始めたら、薪を追加するタイミング。一心不乱に窯の中に薪を投げ入れていきます。

楽しい談笑タイムかと思いきや、すかさず横目で登り窯の火をチェックしていた3人。申し合わせたように同時に窯へと駆け寄り、弱くなった火にどんどん薪を投入していきます。

先ほどの和やかなムードとは一転、黙々と続く作業。職人の「緩」と「急」をいきなり見たような気がして、筆者の目は釘付けに…! さて、それでは作業の合間を見計らいながら、今回の主役・坂本拓磨さんにお話を聞いていきましょう。

「陶芸をしていない人のほうが珍しい」という土地に生まれ育って

火力が増すと、薪をくべる作業をやめて小休止。この合間に拓磨さんに声をかけます。初対面にも関わらず、気さくにインタビューを受けてくださいました。

ご近所のほとんどが「小鹿田焼の窯元」という、ある種、特異な環境で生まれ育った拓磨さん。

「保育園の時の友達は、ほとんどが“焼き物屋”の子供。焼き物屋以外のほうが少なかったですね。小学校に入ったら同級生…と言っても5人くらいなんですけど、同学年の友達ができて、それも、梨農家、梨農家、牧場、焼き物をしてる人、そして残る1人が会社員の子供…という感じで、小学生までは会社員の親が珍しい!と、そんな環境でした」

日々、作陶に勤しむ父親の姿も、拓磨さんにとってはごくごく日常だったようで、「当たり前の光景すぎて『父親が民藝の陶工』だと意識したこともなければ、『いつかこれを受け継ぐんだ』と思ったこともなかった」と振り返ります。

一子相伝で脈々と受け継がれる小鹿田焼の窯。当然、父・浩二さんとしては、息子に窯を継いでほしいという思いがあったのでは?と想像されますが、「特にそういう話をされたことはないし、プレッシャーを感じたこともない」と拓磨さん。「でも、幼少の頃から、『焼き物屋はいいよ』とはよく言われていました。だからといって、父は『継いでくれ』とは言わないけれど、『焼き物屋にはこんな良いことがある』とは聞かされていて。だからこの家業について『嫌だな』とか、悪い思いも全くなかったです」

登り窯のすぐ近くには、器の原料となる土を粉砕する唐臼が。川の水を利用して動かしているため、“ししおどし”のような音が、定期的に周囲に響き渡ります。トン(杵が降りる音)、ザー(川の水が筒から放水される音)、トン、ザー、トン、ザー…。インタビュー中にこだます、小鹿田の里ならではの軽快なバックミュージック。

「子供が親に“食事の作法”を教わるように」作陶を学ぶ

さて、そんな拓磨さんが、小鹿田焼を「仕事」として意識しだしたのは、高校生の時。

「高2くらいの時ですかね、特にやりたいこともなかったので、家業に入るのもいいかなと思いました。もしその時に何かやりたいことがあったら、たとえ父に『継いでくれ』と言われても、やりたいことのほうを優先していたと思います。でも、やりたいことも、行きたい土地も全くなくて…。もしかすると、家業のことは特に意識していなかったつもりでも、幼少期から潜在的な意識としてずっとあって、そのせいで、全く別のやりたいことが見つからなかった可能性もありますね(笑)」

実は拓磨さん、きちんと作陶を学んだのは、高校を卒業してから。「幼少時代、親が作業している隣で、土をいじって大好きな怪獣を作ってみたり…とかはありましたけど、焼き物を作るってことは一切していなくて。親の仕事を日常的に見てはいたので、ゼロからのスタートではないかもしれませんが、でもほぼイチから、突然始めた感じです」

窯に入るにあたって、作陶のノウハウは父親から直接教わったそうですが、「師匠や上司になるっていう感覚もなく、父親はやっぱり父親で(笑)。たとえば子供が親に“食事の作法”を教わるのと同じように、“生活の基本”を習うような感覚で伝授されました」

拓磨さん親子にとっては、作陶もまた、家族の営みの一部。民藝の伝承とは、意外とこんな自然な流れで行われてきたのかもしれません。

「まずは生計を立てられるレベルまで」。必死に作陶した10代

火入れ作業が一息ついたタイミングで、窯から徒歩3分ほどのところにある、ご自宅横の作業場と販売所にお邪魔させていただきました。拓磨さんと父・浩二さんの作品がずらりと並ぶ販売所は、ファン垂涎の風景!

18歳で窯に入り、最初の1年は、「まずは“最低限の上手さ”に達すること」がミッションだったと拓磨さん。

「焼き物が上手くなりたいというよりは、上手くないと生業として成り立たない。『1年目だからこのくらいで許してください』ってわけにはいかないので。だからまずは選んでもらうために、最低限のレベルにはならないとダメだと思っていました」

そうして1年半が過ぎ、19〜20歳の頃には注文を受けるようになったそうですが、「頼まれたものを全部きっちり作れるようになって、ちゃんと生活できる、というのがまず大前提。それらが全部できるようになって初めて、その先に、クオリティを追求したり、自分のテイストを考えたりっていう段階があると思うんです」

2015年、21歳で早くも「日本民藝協会賞」を受賞した拓磨さんですが、その言葉には、「家業が民藝」だからこその覚悟のようなものがちらつきます。「最初の時に感じたスタンスは今も大きく変わっていなくて。生計を立てることと、頼まれたことをきちんとこなすこと。この2本柱は自分の中でずっとありますね。すべてはまず、そこからなので」

自分のためじゃない、使う人のための器作り

販売所にて、こんな愛らしい植物鉢を発見。飛び鉋と植物のコントラストが素敵です。壺や食器だけじゃない。小鹿田焼のバリエーションもどんどん広がりつつあるようです。

 

「民藝の陶工」として来年、10年を迎える拓磨さんに、その創作意欲の源を問うと、こんな言葉が返ってきました。

「僕は、自分のために焼き物を作っていないんです」

「使う人が良いと感じることが一番。だから、自分では考えつかないようなオーダーが入ることもあるけれど、それも『ありがたいな』と感じます。田舎の食器棚と都会の食器棚が違うように、地域によって使いたい形って異なると思うので。あの場所ではこういうものが求められているんだな、と気づくことができる。すべてお任せのオーダーもありますが、今は、お題があるほうが僕なりに色々と考えられるのでありがたい。僕らは、作るのはプロなんですけど、“使うプロ”ではないので、使う人の視点を知る機会は大切です」

作ったものは、日常生活に取り入れながら、使用感を確かめるようにしているとか。「自分がまず実際に使ってみないと、良いかどうかはリアルにわからないじゃないですか。この角度にしたら持ちやすいんだな、とか、割れたり欠けたりしづらいフチの形や、色が滲まない釉薬を研究したり。実体験をもって自分の作品を知れば、対処法を聞かれてもアドバイスしやすいので」

使う人に対する努力を惜しまないその姿勢に、小鹿田焼が“使うための民藝”として愛され続ける理由を垣間見たような気がしました。

無理に奇をてらわない「坂本拓磨の器」を特徴づけるもの

拓磨さんが作る器は、派手ではないけれど独特の色気があるように感じます。それは、どのような感性から生まれているのでしょうか?

「意識して新しいものを作っていく、ということはしていない」と拓磨さん。「個性みたいなものは、自然と出るものだと思う」と言います。

「飛び鉋とか刷毛目とか、そういうスタンダードな柄にこそ個性が出るなと感じます。うちに来る人も、父の作品が好きな人は、やっぱり毎回父のばっか買っていくんですよ。僕のが好きな人は、僕のばっかりだし。それは、選ぶ人がいいと思っているものがその陶工と近いというか、感性が似ているということ。だからわざと主張しなくても、手にとる人はちゃんと個性を感じ取ってくれる。『僕らしさ』みたいなものは、使う人たちが決めるのでいいと思います」

釉薬がなまめかしく滲む、拓磨さんの作品。

スタンダードを大切にしている拓磨さんですが、こだわりを聞かれれば「釉薬」と答えるそう。

「釉薬って、付ける時と、焼き上がりの時の色が全然違う。たとえば透明釉って、もともと灰色をしているんですけど、焼いたら透明になるんですよ。白く焼き上がる釉薬は、もとは真っ黒だったり。どの釉薬を付けたらどんな色になるかっていうのは、感覚と経験でなんとなくはわかるんですけど、でも実際にやってみないとわからないことも結構あって。理科の実験のような感じで、色々と調整しては『こういう色に仕上がるんだ』という気づきを繰り返しています。もともと凝り性というか、オタク気質的なところがあるので、釉薬の研究は僕に向いているのかもしれないです」

「意識して新しいことは特にしていない」と話す拓磨さんだけれど、日々の釉薬への向き合い方や、使いやすさへの追求が、おのずと「坂本拓磨さんらしい器」の表情につながっているに違いありません。

朝6時に始まった火入れから、19時間後の深夜1時。登り窯の下方からじわじわと移動してきた火が、ついに拓磨さんの窯に到達。ここから約4時間が、実際に器を焼く時間、勝負どきです。暗闇の中、ひとり淡々と火を操る拓磨さんを見守ります。

「いいものを作り続ける」その先に、おのずと未来が待っている

最後に、28歳の拓磨さんに聞いてみたかった「これから」の話を少し。

今年春までの約8年間、小鹿田焼の陶工の中で最年少という立ち位置だった彼。「小鹿田焼の未来を担う存在」として、さぞや周囲の期待も大きかったのでは?と問うと、「そういうことは、別に意識していないですね」ときっぱり。「『小鹿田焼の未来を担う』って…、そりゃ僕じゃなくても、ここにいる人はみんな担うでしょうって。僕一人で担える未来なのかな?と思います」

「窯を、残していきたいっていう気持ちはないんですよ。もちろん、潰したいという気持ちもないんですけど。そこは別に考えていなくて、今、僕がやるべきは、『みんながいいと思うものを作っていく』ことだけ。それでもし今後、結婚したり子供ができたりしたとして、その子が『継ぎたい』と思うかどうか。もしも『継ぎたい』と思うのであれば、その時は、僕の知ってることは全部教えたいなと思っています」

その気持ちは、思えば父・浩二さんのスタンスにも重なる気がします。「残したい」や「継がなきゃ」ではなく、あくまで家族の中で、自然と受け継がれていくもの。

「自分の子供に、自分の血が繋がっていくことと同じようなもの」と拓磨さん。小鹿田焼はこれまでも、そしてこれからも、そうやって受け継がれ、続いていくものなのかもしれません。

おまけ。火入れ合間の3ショット。共同窯のおふたりにも声をかけてみると…

同じ窯で作業する、柳瀬裕之さん(左)と黒木昌伸さん(右)に、拓磨さんのことを表現してもらうと…「頼もしい後輩」「スーパールーキー!」「器用な家系」「直感派」「作陶している時の所作がいい」「“上手な寿司屋”みたいに、職人としての手つきがセクシー」と、次々に素敵な描写が!

自分からはあまり主張しないタイプの拓磨さんだけれど、その魅力はしっかりと周囲にも伝わっているようです。

写真/藤井由依 取材・文/乾 純子(Roaster)  

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