「まさかうちの会社でこんなことが…」。会社を経営していると、さまざまなトラブルが起こり得ます。ウソのようなホントの話、あなたが経営者だったらどうしますか? そんなときも慌てず正しく対応できるよう備えておきたいものです。今回の相談は、「未払残業代」をめぐる裁判沙汰。弁護士法人AT法律事務所の川見唯史弁護士に、具体的なステップを追いながらレクチャーしていただきました。
川見 唯史(かわみ ただし)弁護士法人AT法律事務所代表弁護士。早稲田大学法学部卒業後、物流企業の営業部、メーカ人事部などでの勤務を経て立教大学法科大学院修了。平成26年弁護士登録。民事全般および刑事も取り扱う。関係者全員が納得できる円満な未来を模索する弁護士活動を信条とする。
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【今回のストーリー】
在籍従業員2名がこれまでの「サービス残業」について、弁護士を代理人に立てて未払残業代を請求してきました。会社としてはどう対処すればいいでしょう !?(Bさん/ECサイト運営ベンチャー企業社長)
◆ここがポイント
Step1|まずは残業実態を把握し、対応方針を定めた上で、可能な限り話し合う
Step2|裁判での係争––「立証責任」と「世間の見方」を理解する
Step3|残業時間の証明方法を知っておく
Step4|「和解」という落としどころを目指す
Step1|まずは残業実態を把握し、対応方針を定めたうえで、可能な限り話し合う
事例:残業代未払いで訴えられた
会社の苦しい経営事情もあり、従業員にサービス残業を強いる日々が続いていたある日。従業員2人が連名で弁護士を立て、会社に対して未払残業代を請求する内容証明郵便(裁判所への提訴など、法的措置の前段階によく用いられる郵便)を送りつけてきました。どうすればいい?
川見 未払残業代をめぐるトラブルは、労務紛争によくある事案のひとつです。典型的なパターンとしては、会社を辞めた後に「もう怖いものはない!」と未払残業代を請求してくることが挙げられます。ただ、今回のケースは、会社に在籍中の従業員が、いきなり弁護士を立てて権利主張してきたという点で、異例といえますね。
こうした労務紛争では、従業員(または退職者)は、まず任意の交渉による支払いを求めます。そして、任意交渉がまとまらなかった場合には「労働審判」を申し立てたり、「労働委員会」や「労働相談情報センター」のような第三者へ相談をすることが多いです。正式な裁判を起こすためには相応の弁護士費用を支払う必要に迫られますが、そこまでお金をかける前に、費用対効果の高い方法を選択するということでしょう。また、従業員(または退職者)が労働基準監督署へ相談や申告をすることもあります。お金の問題とは別に、労働基準監督署による立ち入り調査、是正勧告や指導がなされると、会社としては恥ずべき状況に陥ることになります。今回の事例では、内容証明郵便の送付を契機として任意交渉がなされたものの、任意交渉で決裂し、第三者を介した話合いではなく、直ちに最終手段ともいうべき訴訟提起がなされてしまいました。そこに至った残業の実態とはどんなものだったのか、まずは整理・把握してみましょう。
当社では、就業規則を周知できておらず、またタイムカードなどでの勤怠管理をしていませんでした。その結果、事業が忙しくなるにつれ、ズルズルとサービス残業を強いてしまいました。増員する余裕もないため一人当たりの業務量が増え、慢性的に職場の士気が下がり、労働効率が落ちるという悪循環。労働者軽視と言われても仕方ない面もあったと思います。
ただ、経営側としては、訴えにある未払残業時間をそのまま受け入れ難い気持ちもあります。残業に慣れてしまったせいもあると思いますが、従業員達の中には、連れ立って職場を2〜3時間離れたり(飲酒もしていた模様)、仕事と関係ないWebサイトを多数閲覧したりする者もいて、常に集中して仕事していたとは思えないのです。
川見 このような従業員の働き方は、実際によく見られるケースですね。従業員側の立場に立つと、「どうせ残業代をもらえないのなら、1分でも早く帰りたい。でも仕事が山積みでそれは不可能。そのような状況下で、気分転換も休憩もなしに毎日死ぬほどの仕事量をこなせるはずがないでしょう?」などと言う本音を聞くこともあります。仮に従業員がまとまった時間の休憩を取ったり、業務と関係のないネットサーフィンをしていたとしても、他方で、従業員が残業をしていたことも事実であるならば、その分のお金(労務の提供に見合った対価)を支払わなければならないことに変わりはありません。
いずれにせよ、①本当に残業がなされていたのか、その実態を把握すること、②その事実確認を踏まえ、会社としてどのように対応するのか方針を定めること、そして、③会社の方針に基づいて当事者間で可能な限り話し合い、裁判沙汰にまで至らない形で解決の道を探ることが重要です。
Step2|裁判での係争 ――「立証責任」と「世間の見方」を理解する
未払残業代を請求してきた2人は、いずれも月100時間前後の残業を3年以上も続けてきたと主張。うち1名とは裁判外での「任意交渉」を通じ、500万円を支払うことで解決に至りました。しかし、残る1名とは交渉がまとまらず、裁判を起こされてしまいました。
川見 残業代を請求できるのは、実質的に過去2年分のみです(※)。それ以前の分は「消滅時効」(一定期間権利が行使されない場合には権利が消滅するという制度)にかかるからです。もちろん、このケースでも最大で2年分までしか遡って精算されていません。しかし、任意交渉で解決した人にも500万円を払っていますから、会社側として大きな出費を余儀なくされたことは間違いありません。さらに、もう一人は会社の提示額に納得できず、ついに労働裁判にまで発展してしまいました。
※労働政策審議会では、民法改正に伴って労働基準法の残業代を含む賃金の時効期間を「5年」に延長するとの見直しが審議されてきました。審議の結果、2020年4月1日から施行される改正労働基準法では、残業代を含む賃金に関する債権の時効期間を「当面の間、3年間とする」ことになっています【2020年6月30日更新】。
この種の裁判に際してぜひ知っておいてほしいのは2点。まず、原則として原告(今回の場合、訴えた従業員)が「立証責任」を負うということです。これは訴訟上のルールで、たとえば「私は月に100時間も残業させられ続けた」と原告が主張し、訴えられた会社側が「そんな事実はない」と否認して、どちらの主張する事実が正しいのか分からない場合には、原告側が証拠に基づいて「月に100時間も残業させられた」という事実を立証しなければならないのです(裁判官にそのような心証を形成してもらえなかった場合、「そのような事実は認められない」として、原告が不利益を被ることになります。つまり、原告の負けとなります)。
しかし、もう1点知っておくべきは、「経済力に乏しい一個人の労働者VS経済的強者である法人(会社)」という構図の争いになるとき、保護されがちなのは労働者の方だということです。つまり、大前提として法に基づいた判断がなされるとはいえ、最初から多少は労働者側に有利な状態で戦いが始まると考えておくとよいでしょう。より具体的に言うならば、裁判官も人間ですから、「従業員はかわいそう、会社がけしからん。会社はお金があるはずだから、幾らか払ってあげなさいよ」というようなイメージを持っていると考えた方がよいのです。
Step3|残業時間の証明方法を知っておく
川見 ちなみに、従業員側が「こんなにも残業していた」ことをどうやって立証するのかというと、これまた色々と方法が考えられます。タイムカードを用いるなどの方法により勤怠管理がなされているならば、もちろんその記録が使われます。しかし、このような客観的かつ一義的に労働時間を明確化してくれる証拠が揃っているケースは決して多くありません。
今回のようにタイムカードを使用していなかったとなると、従業員側は「どれだけの時間にわたって残業をしていたのか」を示す証拠として、オフィスのセキュリティドアの通過記録や、PCの立ち上げ/立ち下げが分かるログ、営業日報やシフト表などさまざまなものを挙げます。出退勤時刻や残業内容などを記録していた私的な日記などが提出されることもあります。
「えっ?こんなもので残業していたと認められるの?」と驚くようなことも少なくありません。いかなる証拠に基づいて事実認定するか、それは裁判官の自由な心証に委ねられます。そして、機械的に記録されているものの信用性が高いことはもちろん、日記・メモのようなものでも具体性・迫真性に富んでいるほど証拠の信用性が高まるといえるのです。
一方の会社側も、勤怠管理簿との矛盾点を探す、ほかの従業員から当該請求者の残業実態を聴取する、当該請求者のPCのログを解析して仕事と無関係なネットサーフィンをしていなかったか確認するなどの方法により、請求者の主張内容は事実と異なると反論していきます。
双方の主張が平行線をたどる場合には、このように証拠に基づいて互いの主張をたたかわせることになりますので、「どのような証拠があると会社に有利となるのか、あるいは、不利となるのか」ということを考えなければなりません。
Step4|「和解」という落としどころを目指す
裁判を起こした従業員とは、最終的に会社が1000万円を支払うことで和解。さらに、未払残業代を請求してきた2人の従業員は、結局、会社を辞めてしまいました。経営的にも大きな痛手でしたが、ブラック企業との噂が立ち、新たな人材確保にも悪影響が出る結果となりました。会社名を変更するなど苦肉の策を講じて立て直しを目指しています。
川見 私自身の経験から申し上げますと、従業員と会社、どちら側の代理人を務めるにせよ、この種の案件で解決金や和解金という名目の金銭が支払われなかったという事件は1つもありません。つまり、未払残業代は、請求されてしまえば、幾らかの支払いを強いられる結果に至ることが高い確率で見込まれるのです。
今回のケースは、会社側にとっては経済的に大きな痛手だったと思います。しかし、この訴えに乗じて第2、第3の請求者が現れなかったことは不幸中の幸いだったとも言えるでしょう。実際にこうした労務紛争が起きると、従業員が団結して組織(会社)に挑むという構図になることも少なくありません。そして、多くの従業員が団結して規模が拡大した場合には、さらに大変な事態に陥ることは明らかです。
ちなみに、今回は在籍中の従業員が訴えを起こしたわけですが、訴えを起こされて腹が立つからといって、交渉や裁判の間に請求者に対して不利益な取り扱いや差別的な取り扱いをすることは許されません。もちろん、あらゆる意味で不当な圧力をかけることも許されません。もし残業をしていたことが事実であるならば、請求者は、働いた分のお金を請求するという当然の権利を行使しているだけなのです。「自分の時代にはあり得ない話だ。」とか、「飼い犬に手を咬まれるとはこのことだ。」とか、そういった感情に基づいて動くことは厳に慎みましょう。負の感情は問題を大きくし、解決を遠ざけるだけです。
また、トラブルが解決した後の人間関係は、千差万別です。退社を機に完全に縁を切る人がいれば、残業代が支払われた後に関係を修復して公私ともに経営者と付き合いを続ける人もいます。
こうした様々な事象を念頭に置くと、「和解」による解決を図ることは非常に有意義であるといえます。経営する厳しさを考えると、金額を上積みして譲歩することが困難であることはよく分かります。
しかし、それでも、①判決という自力ではコントロール不可能な裁判所の判断によって、ますます不利な判断を下されると目も当てられないこと、②守秘義務条項を盛り込むなどしてほかの従業員や退職者への波及効が生じないように手当てし得ること、③最終的にはお互いに譲り合ったという形を採れば、お互いの心のしこりも小さくなり、例えば匿名掲示板などに虚実入り混じった悪評を書かれる可能性を少しでも小さくできることなどの利点を考えると、個人的には、この種の事案は和解による解決を図ることがベストであろうと考えています(もちろん、証拠もない完全な言いがかりのような訴えに対しては毅然とした態度で応じることが不可欠ですが、わざわざ裁判を起こすという場合に、そのような無茶な仕掛けをしてくる人というのは皆無でしょう)。
今回のケースでは、会社は匿名掲示板などに「ブラック企業」と書き込まれ、悪評が広まってしまうという痛手も負いました。総じて、企業が残業代の未払いを続けることは、経営的にも、世間の評価(レピュテーション)的にも非常にリスクが大きいと言えるでしょう。
教訓|未払残業を生む社内構造を見直し、労使双方のためのルール整備を
まず大前提として、サービス残業は法律的に許されません。経営者は、従業員が働いた分のお金をきちんと支払わなければならないのです。ですから、問題が顕在化した場合を想定すると、“サービス残業を強いること”は、自ら経営リスクを抱え込むことと同じ意味であるといえます。それに加えて、道義的にも全くいいことがありません。
これまでに説明してきた通り、多くの場合、訴えられてしまうと解決金や和解金という名目の金銭の支払いは避けられませんので、最初からきちんと残業代を支払っておく方がよいです。また、最悪の場合には、会社の悪評→有能な人材の確保困難→業績悪化→人件費が経営を圧迫→ますます残業増→人が離れる→会社の存続の危機、という悪い流れに嵌まってしまうおそれもあります。
働き方改革が声高に叫ばれる昨今、それが「中小企業の経営者の皆さまには関係ない」などとは到底言えません。むしろ、最高裁判決が続々と下されていますので、未払残業代請求をはじめとする労務紛争はこれからホットトピックになっていく可能性が高いです。
ですから、残業代をめぐるトラブルを予防することが重要です。仮に経営が苦しいとしても、トラブル予防策として、①根本的な仕事量の把握や従業員数の見直し、②適切な勤怠管理を推進していく必要があります。また、前回(第一回)同様、『就業規則』において、どのようにルールを定めていくべきかということも重要です。残業がどうしても発生しがちな環境の場合、例えばあらかじめ一定時間内の「みなし残業代」を給与に含ませておくことなどという方法は、残業代削減の具体的な対策として広く導入されているところです。こうしたルールの整備、そしてルールの周知は、労使双方のために非常に大切です。
今回のように訴えられる事態にまで至らずとも、残業代の問題では多くの経営者の皆さまが実際にお悩みであろうと推察します。適切な労働時間を守り、労働時間に見合った対価を支払わなければならないとはいえ、言うは易く行うは難しという面があることは否定しません。「払えるものなら払いたいけれど…」と思いつつも、従業員にサービス残業を強いてしまう経営者の方々も少なからずいるのではないでしょうか。しかし、トラブル対処の最善策は、それらが起きる前に予防策を講じることです。労働環境に対する世間の目もより厳しくなりつつある今の時代だからこそ、経営側にも時代に即した対応が求められていることを強く意識しましょう。
*この記事での事例は実際の弁護事例などを参考に構成されたものですが、実在の団体や人物などとは関係ありません。
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このコンテンツは株式会社ロースターが制作し、ビズテラスマガジンに掲載していたものです。
企画:大崎安芸路(ロースター)/文:内田伸一/写真:栗原大輔(ロースター)